おせちという料理は、奈良時代に起源があります。中国より伝わった「節」という行事が、平安時代の日本国内でも宮中行事として定着していきます。この「節」は、平安時代の節目にあたる日とされる節日に、邪気を払う祈祷・儀式である「節会(せちえ)」として伝播されます。この節会は、平安当時の祈願の様態としては珍しく、宴をひらくような形式で行われていました。
この中でも、特に大切な節目であった5つの節目が、「五節会(ごせちえ)」です。この五節会で、供えられた食べ物のことを、「御節供(おせちく)」と呼び、この言葉が現代のおせちの語源とされています。しかし、現代のように多種多様な料理を用いてお重に並べる状態になるのは、江戸時代になってからのことです。平安当時はまだ、白米を高く盛っただけという見た目でした。
江戸時代になると、幕府は徳川幕府に代わります。徳川幕府はこの五節供を公的な祝日として定め、その後幕府の公式の行事とも認めます。幕府が公的に行う五節供は、瞬く間に江戸の庶民に受け入れられるようになります。そして一年に複数ある節日の中でも、最も重要でめでたいとされる正月に、この御節供は振舞われていました。
江戸時代中期から後期には、外国人の来日や江戸社会においての身分階級の多様化に伴って、食文化も多様化し、あわせておせち料理の種類も増えていきました。また、当時の庶民たちの間では「おせち料理」とは呼ばれておらず、「食積(くいつみ)」または「蓬莱(ほうらい)」と呼ばれていました。現代の呼称は、第二次世界大戦以降に一般化され現代に至ります。おせちのことならこちら